近 江 屋 丁 稚
【主な登場人物】
托鉢の坊(ぼん)さん 丁稚定吉 ご主人
【事の成り行き】
飛び込み営業、電話営業を職業にしている人にはまことに申し訳ないので
すけど、こちらの都合お構いなしに突然ズカズカ乗り込んで来て、まともな
応対を希望されても、それは自分勝手というもんです。
嫌な思いをしてスゴスゴ退散しないといけないのが尋常と心得ていただきたい。
にもかかわらず、邪険な返事に半切れになって声を荒げる頓珍漢な人間は
社会生活不適応者ですから、病院で治療を受けるなり、家でゆっくり休養を
とって頭の中を整理してから社会復帰しましょう。
でないと、いずれ取り返しのつかない致命的な犯罪を犯してしまいます。
自らを省みて、一方的に非難するばかりでは片手落ち、断る側の態度にも
注意が必要でしょうね。
仕事を持っていた頃には時間単位、ときには分単位のスケジュールに苛立って「ボカ、カス、アホ、マヌケ」要らざる言葉をオマケに付けたのは行き過ぎでした。
もっと大人の対応をすべきだったなぁ。
その償いと言っては何ですが、比較的自由になる時間を過ごしている今、
心にも余裕ができ、可能な限り時間をとってお話を聞かせていただくばかりか、逆にこちらから全く関係のない話題を振り、楽しいひと時を持つよう心がけ、また実践しています。
たとえば、保険会社屋さんには株式投資や投資信託の金融商品の話、証券
会社屋さんには生命保険や自動車保険といった保険商品のはなし、不動産会
社屋さんにはお住まいの所番地や間取り、家族構成、家族のお名前、性別、
学校名、学年、生年月日、趣味、奥さんとの馴れ初めなどご家庭の話。
早く帰りたい、早く切りたいと思ってもそうはさせません(2007/09/02)。
* * * * *
え~、お医者はんがお寿司屋はんをするちゅな、面白いアイデアですなぁ。
ねぇ、その暇には坊(ぼん)さんもしてるやなんて、よぉあんなこと言ぅてますが。
けどもあの、お医者はんと坊さんといぅのはなんか取り合わせがえぇよぉで、悪いよぉでねぇ。
道歩いてたお医者はんが、あの往診のカバンの中からどぉした弾みか財布がポチョンと落ちたんですな。
であのぉ、通りがかりの坊さんがそれ拾ろて、懐へ入れてシュッと行きかけはったんだ。
「もしもし、もし。わたしの落とした財布でんがな」
「あぁ、あんたが落とした財布でっしゃろ」
「それ、あんた懐へ入れて行たらいかんがな」ちゅうたら「医者が手ぇ放したら、坊主のもんや」て。
ひと口に「坊さん」ちぃますけども、あの宗旨、いろんなご宗旨がありますけれども、物事ちゅなね、なんでも陰陽がある。
ですからね、昔のことですよ、心中なんかするとき、ね、お芝居なんかでよぉありますやん「心中」男と女と好き同士やさかいに、もぉこら死んで一緒になろ、親が許さんさかいに、ちゅなよぉおまんがな。
お芝居なんかでも「いま鳴る鐘がこの世の名残り」
「五つの鐘の、鳴りじまい」
「覚悟はよいか?」
「なむあみ、だぶつ……」て、これ死ねますでこれ。
これ「ナンミョ~ホ~レンゲキョ~」死ににくいでっせ。
「いま鳴る鐘がこの世の名残り、覚悟はよいか?」
「ン、ミョ~、ホ~レンゲ~キョッ。ナンミョ~ホ~レンゲ~キョッ」
「これこれこれ」
ね、でまた一方ではね、昔は「高山信仰」と申しまして、高い山へ登るのが信仰のひとつやった。
せやから「富士詣で」なんか言ぃまして富士山へ登る。
ほなあんた、富士山へ講中で登るとき、こらねぇ、やっぱり「ナンミョ~ホ~レンゲキョ~」やないと足が前へ進まん。
高い山登って行くのにね「ナンミョ~ホ~レンゲキョ~、ナンミョ~ホ~レンゲキョ~、ドンツクドンドンツクツク、ナンミョ~ホ~レンゲキョ~」と、登って行けますよ。
ね、足がこぉ前へ出て行きまんがな、ナンミョ~ホ~レンゲキョ~。
これがあの「なんまんだぶつ」のほぉですとね
「ん~、んま~んだぁ~ぶ、な~む、あ~み、だぁ~ぶ……」
富士山登るのに何百日かかるか分からん。
一町歩くのも大変です。
それぞれまぁ、陰と陽とありますが、あの坊さんちゅうのはねぇ、今みなこのお坊さんといぅものは、それぞれ仏教大学やとか何々大学やとか行って、いろいろそれなりの学問を修めてお坊さんになりますが。
昔は、まぁ
「あれやってみたけども具合悪い、これやってみたけど失敗した。あれもこれもしくじってしもてどぉもしょ~がない、まぁ頭丸めて坊主にでもなろか」
て、えぇ加減な坊さんがあったん、中にはこの、お経が読めるや読めんや分からんちゅな坊さん。
今はそんな方ございません。
そぉいぅ坊さんはね、どんなときに都合えぇか、お経読まれへんでもね、誤魔化しよぉがある、坊さんちゅうのは。
ことにね、托鉢なんか出かけますなぁ、饅頭笠といぅ笠を被りまして、笠をガバッと被ってますから顔あんまり分かれしまへん。
ほいであんた、衣着てな、ほいでワラジ履いて表唸って歩いてますやろ。
ホンマは何かお経言ぅてはんのか分かりませんけど、我々が聴ぃてるとただ唸ってるよぉに聴こえるんだ
「ホォ~ッ、オォ~オォ~オォ~……」
わたしら子どもの時分、あの黒い衣着て笠被って来はると恐いんです、何となしにね。
中にはやっぱり、あれもしくじったこれもしくじった、頭丸めて坊主にでもなろかちゅな、そぉいぅ坊さんですとえぇ坊さんばっかりとは限れしまへんさかいね、腹ん中で何考えてるや分からん。
町内、毎日まいにちズ~ッと回ってまっさかい、もぉ顔なじみになってたりしてね。
●(ホォ~ッ、オォ~)ご機嫌さんです、長いことどっか行ったはったんで?
きのう来たときお目にかかれしまへんでした(ホォ~ッ、オォ~)またよろしゅお頼の申します、さよならごめん(ホォ~ッ、オォ~)
●あぁ、ここやここや十一屋はん。
ここの女中さん、綺麗ぇなんがいてんねや(ホォ~ッ、オォ~)裏口へ回ったらいつでも何かくれんねや(ホォ~ッ、オォ~)わぁ~ッ、垣根の向こぉ、井戸端のとこで洗濯してるわ。
●あの人やねん、あの人別嬪や、常日頃からそない思てんねや。
あないしてしゃがんで洗濯してるとえぇ女ごやなぁ、えぇケツやなぁ……
見てると、この女衆(おなごっ)さんが今度は釣瓶へ取り付いて水汲みはじめたん。
であの、昔の釣瓶ちゅうのんご存知ですか?
クル巻があってこぉ縄で、片一方が沈むと片一方が上がって来るといぅね、あの釣瓶。
と、このクル巻のとこ、油が切れてたとみえてね、これが「キコキコ、キコキコ」いぅんですなぁ。
それをこぉ、女衆(おなごし)さんがこぉやって縄を繰ると「スキッ、スキッ、スキッ」と聴こえたん。
こぉいぅことてな、あるんです。
自分がそぉいぅ風に思うと、そぉいぅ風に聴こえるんですなぁ。
この坊さんが「あの女、えぇ女やなぁ」と思て見てると、その女衆が水汲む音が「スキッ、スキッ、スキッ」
●人の気持ちっちゅうもんは通じるもんやなぁ、わしが向こぉ好きや思たら、向こぉも「好き好き」言ぅとぉる。これやったら喰らい付いても、まさかにキャ~とかス~とか言ぃよらへんやろ。
悪い坊さんやなぁもし、女衆が水汲んでるのん後ろからワ~ッと喰らい付きよった。
▲何をすんねんな、この人わッ! てビックリして手ぇ放した拍子にあんた、この釣瓶が「嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い、ドボ~ズ」
昔はそぉいぅ坊さんがねぇ、よぉ表通ったもんです。でまた、こらねぇ、お坊さんとかはね「あっち行け」て追うわけにはいきまへん。
あれ断りよぉがあるんですなぁ「まぁ、どぉぞお通りを」こない言ぅと丁寧に聞こえる。
◆ホォ~ッ、オォ~オォ~
●どぉぞお通り
◆ホォ~ッ、オォ~オォ~
●どぉぞ、お通り
◆ホォ~ッ、オォ~オォ~
●「お通り」言ぅてんのに、ひつこいなぁ
■これこれこれ。定吉、こっちへ来なはれ、何を言ぅとんねや、もっと
丁寧に言わな
●えらい、すんまへん……、どぉぞ、お通りを。
◆おぉ、これわこれわ、近江屋さんじゃなぁ。
ん……
「近江屋は、手元に銭(ぜぜ)がありながら、くれえぇざん、始末から先」
あぁ度し難いものじゃ、ホォ~ッ、オォ~オォ~……
●なに言ぅて行きやがったんや、あいつ?
■定吉、定吉、こっち来なはれ。
せやさかいにな、あぁいぅ人には丁寧にもの言わないかんちゅうてるやろ。
昔はな、弘法大師てな方が托鉢にお回りになったんや、なにもご修行に回ってなはる人、お貰いさんみたいに追い払うねやないがな。
■え? なに? 何を言ぅてはったて?
「近江屋は、手元に銭がありながら、くれえぇざん、始末から先」……?
んッ、近江八景が詠み込んであるんやがな。
これだけのことをおっしゃるお方やがな、失礼なことがあってはいかん、
ちょっと追いかけて行ってな、何ぞ布施物(ふせもつ)を、といぅてもお金ではかえって失礼なか……
■あッそぉそぉ、こないだな、搗いて飾ってたお鏡の残りがあるやろ、お鏡の残りをな、丸ぐち一つ持って行て差し上げなはれ
●へぇ、あぁさよか……、
うちのご主人、えらいあんなことで感心してはるけども「始末から先」ちゅのが、そんなに偉いんやろか?
こんな大きなお鏡餅一つ丸ぐちて……、
半分にしたろ、半分にしといたろ。
半分に割って、半分自分の懐へ入れて、残った半分を、
●もしぃ~ッ、坊さんちょっと待っとくなはれ。あの~、うちのご主人がこれ、布施物にと言ぅて……
◆おぉおぉおぉ、拙僧が愚にもつかぬことを申したが耳へ入ったのかな、かえってお気遣わして……、ん?
これは異なこと
「十五夜に、片割れ月はなきものを」
と言ぅと丁稚が、
【さげ】
●雲に隠れて、ここに半分。
【プロパティ】
お医者はんがお寿司屋はんを……=漫才・ちゃらんぽらん「人手不足解消法」
のネタのはなし(解説より)
托鉢=(梵語・鉢の中に物を受ける意):修行僧(雲水)が「ほぉ~、ほぉ~」
と唱えながら鉢を持って市中を歩き、他人の家の前に立って施しの米
や金銭を受けて回ること。京都では親しみを込めて「ほぉ~さま」と
呼ぶ。「ほぉ~」は「法」
女衆(おなごし)=下女・はしため。雇われた順あるいは年齢順に、松竹梅
からとってお松どん、お竹どん、お梅どんと呼んだ。長じるとお松っ
つぁん、お竹はん、お梅はんとなる。決して呼び捨てにはしなかった。
クル巻=釣瓶車、滑車のことであろう。
ひつこい=しつこいの段訛。執拗な。
度し難い=救いがたい。どうしようもない。
近江八景が詠み込んである=近江八景は「栗津春嵐・瀬田夕照・三井晩鐘・
唐崎夜雨・矢橋帰帆・石山秋月・堅田落雁・比良暮雪」の八箇所。膳
所、比叡山は違うような……
丸ぐち=すべて。全体。そのまま。丸かじり。
音源:露の五郎(五郎兵衛)
1991/08/18/広島県安佐町農協 上方演芸会(NHK)