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1800年代、本当にあった生き埋めに関する怖い話

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 遺体と間違えられて、まだ生きているのに埋葬される、などとということは、現代のわたしたちはそれほど心配することではない。しかし、1800年代の人たちにとって、それはあながち杞憂ではなかったのだ。

 1896年、英国王立外科大学の司書が、ロンドンの墓泥棒集団の実録『ある墓暴きの日記』という本を出版した。そこには生きたまま埋葬され、なんとか生還した人の生の声が綴られている。

死体泥棒
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 1830年以前のイギリス、医大での解剖用の遺体は、死刑になった犯罪者のものだけを使うことが法律で決まっていた。不足したときは、盗掘屋として知られる死体泥棒たちがその穴埋めをした。葬式が済んだばかりの墓をあばいて、新鮮な遺体を盗み、医大に売るのだ。

 その後、議会は1832年に、ライセンスをもった医大は、身元不明の遺体や検体も解剖に使ってもいいという解剖法案を通過させたため、合法に遺体が行き渡るようになり、おぞましい闇取引は終わりを迎えた。しかし、1896年、世間の記憶もまだ冷めやらないうちに、ジェームズ・ブレイク・ベイリーという王立外科大学の司書が、ロンドンの墓泥棒集団の実録『ある墓暴きの日記』という本を出版した。

 この中には、生きたまま埋葬され、生還した人の生の声がおそらく史上初めておさめられている。当の本人、ジョン・マッキンタイアの話を信じるなら、墓泥棒たちが生き埋めになってしまった人にとって命の恩人になったこともあっただろうと、ベイリーは書いている。

体験者自ら語った臨終宣言の時
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 以下は、マッキンタイアがベイリーに語った体験談である。

 わたしは具合が悪く、微熱が続いていました。だんだん体力もなくなり、医者にはもう回復の見込みはないと言われていました。ある日の夕方ごろ、言いようのない奇妙な痙攣に襲われました。

 ベッドのまわりを見回すと、無数の見知らぬ顔が見えましたが、それらは明るく幻のようで体がありませんでした。あたりには光が差し込み、荘厳な雰囲気でした。わたしは体を動かそうとしましたが、どうしても動きません。

 完全に意識はありましたが、動く力はどこかへ行ってしまったようです。枕元ではすすり泣きの声、看護婦が「お亡くなりになりました」と言っている声が聞こえました。

 このときのわたしの気持ちはどうにも表現できません。体を動かそうと力を振り絞りましたが、瞼すら動かせません。父の手がわたしの瞼を閉じるのがわかりました。まわりは暗くなりましたが、音は聞こえ、感じることはできました。それから3日間、たくさんの友人がわたしのもとを訪れ、彼らが低い声でわたしのことを話す声が聞こえ、その指でわたしに触れるのを感じました。


意識はあるのに体は動かない。そして棺の中へ
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 それから棺が手配され、わたしはその中に寝かされました。棺が持ち上げられ、どこかへ運ばれるのがわかりました。車のようなものに乗せられるのを感じ、それが停まると棺が再び持ち上げられました。人間の肩に乗せられて運ばれていて、縄がかけられたのか、棺が揺さぶられるのを感じました。

 棺が地中深く墓の底に下ろされているというのに、恐ろしいことに、いくら力を結集して動こうとしても、微動だにできません。上から土がかけられる音は、雷鳴よりも激しい音に聞こえました。その音がやむと、あたりはシンと静まり返りました。

 ”これが死なのだ” 思いました。やがて蛆虫がわたしの肉体を這いまわるのだ! そんなぞっとするような思いに苛まれていると、どれくらい時間がたったのでしょうか、上のほうから低い音が聞こえてきました。ついに蛆虫どもがやってきたのか。その音はだんだん大きくなり近づいてきているのがわかりました。友人たちが、わたしの埋葬が早すぎたことに気づいてくれたのでしょうか? 死の闇を通して一筋の希望が差し込んできたようでした。


墓泥棒によって救い出され、体にメスが入れられて初めて生還

 音が聞こえなくなると、わたしの体は棺から出され、素早くどこかへ運び去られました。どれくらい運ばれたのか、わたしはただの土くれのように投げ出されました。まわりの者のやりとりで、どうやらわたしは墓をあばいて遺体を売りさばく墓泥棒の手に落ちたことがわかりました。

 わたしの屍衣は乱暴にはぎとられ、裸で台の上に寝かされました。やがて部屋の中が騒がしくなり、医者や学生たちが集まってきました。そして、実演者がナイフを取り上げて、わたしの胸に突き刺しました。そのとき、わたしの全身が裂けるようなバリバリいう恐ろしい音がして、痙攣が起こりました。するとまわりから恐怖の金切り声があがりました。氷のように固まっていた死が崩壊し、わたしの麻痺状態は終わったのです。力が戻ってきて、一時間ののちにはわたしはすっかり生き返ることができました。

via:Buried Alive: A Die-Witness Account

 死亡判定に関してもまだ十分ではなかった時代である。まさにそんな医学向上のための遺体解剖研究なわけだが、生き埋めになったらたまったもんじゃない。

 かといって現代の日本のように火葬が一般的なら意識のあるまま火あぶりになるということだ。そう考えたらまだ生き埋めの方がいいのだろうか?う~ん考え物だ。

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